和平之花・紫金草 少女の像





 まさに、山口誠太郎博士が、南京市にある紫金山の麓から、紫金草の種を持ち帰って70周年のこの春、紫金草を携えた少女の像が完成した。
 中国の新聞各紙でも掲載されていた。
 ありがとうございます
 平和運動とは言っても、様々なかたちがあるが、花を通したものはあまりないであろう。
 平和を守りましょう!憲法9条を守りましょう!核兵器を廃絶しましょう!
 などと訴えても、なかなか人々の心ではイメージしににくく、伝わりにくいところがある。
 しかし、平和への祈りがこもった紫金草の花を通しての運動は、草の根ながらも、大きな成果をあげてきたのではないだろうか。
 南京大虐殺記念館リニューアルにあわせて、紫金草の花園がつくられ、そして、今回、70周年にあたり、紫金草を携えた少女の像が4月18日完成披露が行われたのだ。
 人は、理屈では行動しにくい。理解して感動してから行動するものだ。
 どんなに良い的確な説明を受けた商品でも、それだけでは購入するという行動には発展しない。

 そこに、すごいなとか、素晴らしいなとかの感動があって購入している。
 例えば、この内容でこの価格は安いなという感動が購入という行動に移らせている。

 平和運動も同じではないか。

 どんなに正しいことを訴えても、そこに感動がなければ運動は進まない。
 紫金草の花には、人々を感動させる歴史と、美しさがある。
 もちろん、絵本や合唱を通しての運動も日本各地で展開されてきた。

 その成果が、少女の像となっているのではないだろうか。

 記念品として贈られたものは、紫金草の文鎮であった。


 箱の右上には、少女の像が、左下には、「和平之花 紫金草」の文字が刻まれていた。




文鎮には、中国語、英語、日本語で下記の説明文が載っていた。
【紫金草花園】 紫金草の中国名は「二月蘭」です。1939年、日本軍陸軍衛生材料工場の工場長を務めていた山口誠太郎氏が南京の紫金山の麓でこの花の種を採集して日本へ持ち帰りました。 戦後、山口さんは戦争への反省と平和への願いを心に抱きながら、家族と共にこの花の普及に努めました。花の名を「紫金草」と名付けました。 現在、紫金草は日本各地に広まっていて、「平和の花」として知れ渡っています。 2007年、侵華日軍南京大虐殺同胞記念館の拡張工事に当たり、山口誠太郎さんの息子ー山口裕さんが日本各地で1000万円(人民元64万元に相当)の募金を集めて平和公園に「紫金草花園」を建設するために本館に寄付しました。 この花園が日中両国人民が共に平和を祈念するシンボルになりますようにと願い込んでいます。

 紫金草を携えた少女の像と紫金草の花園が、日中だけでなく、世界平和の発信地として、未来へ向かっていけますように。

不忘歴史、面向未来

 歴史を忘れず、未来に向かおう
 

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