花咲く日中友好、平和の象徴「紫金草」 少女の塔完成へ


 2007年12月13日、南京大虐殺70周年の日。中国・南京で は、大規模に拡張一新した「南京大虐殺記念館」が、リニューアル オープンした際に、私は参列していた。

花咲く日中友好、平和の象徴「紫金草」が70年ぶりに里帰り

―江蘇省南京市

 2007年9月7日、江蘇省南京市に、山口裕氏ら紫金草花壇建設会一行が訪問し、日本から持ってきた紫金草の種を南京大虐殺記念館の平和公園内に播いた。また、山口氏は紫金草を図案とした郵便切手と封筒を記念館に寄付した。  軍医だった山口裕氏の父、誠太郎氏は日中戦争時に南京を訪れた際、紫金草の種を日本に持ち帰ったという。以来、この美しい花は日本で数を増やし、全国の公園・学校などで日中を取り結ぶ“平和の花”として育てられるようになった。  山口氏はかねてより紫金草を南京に帰したいと熱望していた。今年3月、山口氏は南京を訪問、日本各地で募金した1000万円を記念館へ寄贈し、公園内に紫金草の花壇を作ることで合意、長年の夢を実現させた。(翻訳・編集/KT) 2007-09-09 12:37:21 配信
http://www.recordchina.co.jp/group/g11173.html

 南京市政府より、連絡があり、4月18日に「少女の塔」が完成し除幕式を行うこととなった。

 紫金草宣言のレプリカが、むらさき花だいこんの絵本に出てくる、そして、組曲「紫金草物語」にも出てくる、むらさき花だいこん=紫金草を、南京市の紫金山の麓で、一兵士に渡したのが、この少女となっている。


 その少女の像がほぼできあがるとのメールが写真入りで届いた。朱成山館長(写真右側)とともに、真ん中に写っているのがその少女である。




 少女が左手に持っているのが紫金草である。




 山口誠太郎さんが南京市の紫金山の麓から種を持ち帰って70余年、今度は、南京の少女の手に花開くことになる。

 この世を去っている山口誠太郎さんは、どのような思いでこの少女の像を見ていることであろうか。

 平和とは、あまりにも抽象的である。紫金草という花を通して、平和を具体化することが運動となった。

 その運動は、民間外交により、南京市を動かし、中国政府をも動かした。

 その結果が、「紫金草宣言」のモニュメントであり、今回の紫金草を携えた少女の塔である。

       ◇


 振り返れば十余年前、院生時代の同級生に中国政府からの留学生で白さん(当時50歳代)という方がいた。彼を通して、南京市政府とコンタクトをとり、地元に日中友好協会がなかったため、水戸市日中友好協会の訪中団の一員として参加し、南京大虐殺記念館の朱成山館長と、紫金草の花園公園を日本からの寄付で作りたいと話をしてきたのが始まりであった。

 戦争状態では、花など見ている余裕はない。


 この薄紫の紫金草(PEACE・FLOWER)を見て、「きれいだなあ」と感じられるとき、平和を象徴しているものとなることと思う。
 まもなく、日本のあちこちに、そして、中国でも、紫金草は咲き乱れはじめる季節となる。
 この花を見つけたとき、思い出して欲しい。あの南京での悲惨な出来事を。
 そして、日本に持ち帰った数粒の種が、今や平和の花として日本中に広まり、そして、南京大虐殺記念館内にある、紫金草の花園へとつながったことを。
 少女が持っている紫金草は、日本と中国だけでなく、世界の平和への発信元となることであろう。

不忘歴史、面向未来

 歴史を忘れず、未来に向かおう

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー) URL

プロフィール

PEACE2121

Author:PEACE2121
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ