原山ドルメン

日野江城跡を見学した後、雲仙に向かうことにした。

その途中で、「原山ドルメン」という看板を見つけた。

ドルメン??? いったい何だろうとちょっと寄ってみることにした。

こうやって、自分のペースで行きたいところにいけるというのが、一人旅のいいところだろう。

と、同行してくれる人がいない寂しさを紛らわすいい訳にしているのだが。

まあ、実際のところ、それほど寂しくはなく、充分一人でも楽しめるのだが、一緒に共感できる人がいたらもっと楽しいことであろう。


 地図のあたりに行ってみると、まず見つけたのが、下記の看板だ。そこには、自動車が2台ほど止められるスペースと、トイレがあった。




 そこで見つけたのは、「九州自然歩道」の看板だった。

 長距離自然歩道は、国土を縦断、横断又は循環し、複数の都府県にまたがる歩道で、多くの人々が手軽に楽しくかつ安全に国土のすぐれた風景地等を歩くことにより、沿線の豊かな自然環境や自然景観、さらには歴史や文化にふれ、我が国の風土を再認識し、併せて自然保護に対する意識を高めることを目的としている。 また、地域の個性的なテーマに合わせたルートづくりを通じて、地域の素顔を再発見したり、地域に暮らす人々との交流を深めることにもつながるものである。 (環境省)

 太古の昔から自然にできあがった道かと思っていたら、どうやら違ったようだ。

 ところで原山ドルメンとはいったい何なのだろう。この看板の周りには農作地しか見あたらないが。

 この看板を読んで、原山支石墓群というのが原山ドルメンのことだとわかった。

 看板があるのだから、散策していれば何かあるだろうと歩き始めた。

 100mくらい歩いたろうか。そこで見つけたのがこの案内であった。




 その周りには、確かに石の墓らしきものがあった。




 この墓の構造は、数個の支石の上に、安山岩の蓋石をのせ、その下に板石を組み合わせた箱式棺または土拡を設けたもの。
 と案内板に書いてあった。

 縄文時代終末期に、すでにこの地域では、朝鮮半島との密接な交流が行われていたというのだ。

 文部省が指定しているくらいの重要な遺跡にもかかわらず、見学している人は私以外全くいなかった。

 ここから眺める景色は、雄大なものであった。



 場所を移動して、農村公園の中にある原山第三支石墓群の方へ行ってみた。




 本支石墓は、四十墓以上が完在していた遺跡として、わが国唯一のものであるとともに、亦この築造の年代が縄文文化から弥生文化への転換期にあることにおいて、日本古代文化史上きわめて重要な遺跡として学界に注目されている。

 ドルメンとは、支石墓のことで、縄文から弥生という時代のものが、これほど集まっているところは他に例がないであろう。







遺跡は何も語らない。

 歴史はフィクションであるが、考古学はノンフィクションではないかと感じていた。

 当時、この墓をつくった人々は、どのような気持ちであったのだろうか。

 死者を弔う思いは変わらないものだろうか?

 人間と動物の違いは、死を意識するかどうかであると思っている。

 ネアンデルタール人は、死者を洞窟に埋葬している。その際、菊とかスミレの花で飾ったという。

 死を意識して初めて、生があると思う。

 そんなことを考えていると、あっという間に時間は過ぎていった。

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー) URL

プロフィール

PEACE2121

Author:PEACE2121
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ