日本国憲法誕生 ?


NHKスペシャルで昭和の日となった29日、「日本国憲法誕生」が放送された。ビデオを録っておいて、先ほど、見終わったところである。アメリカによって、つくられた憲法(押しつけられた憲法)であるという議論のあるなか、興味が非常にあった。

日本国憲法の施行から60年、今、改憲や戦後体制の見直しが唱えられている。そもそも日本国憲法は第2次世界大戦後の世界の中でどのようにして誕生したのだろうか。これまで、ともすればGHQによる「押しつけ」憲法か否かに関心が集中していた。しかし、近年、憲法の制定過程をGHQとの密室の攻防にとどまらず、時間的にも空間的にもより広い視野からとらえ直そうという研究が進んでいる。特に国会の憲法改正案委員小委員会の秘密議事録が公開されると、GHQ草案に様々な修正が施され、「日本化」「土着化」と呼ばれる過程を経ていることが明らかになってきた。生存権や義務教育の無償化などここでの日本人の修正によって盛り込まれた条項は多い。また、当時の極東委員会の議事録から、ソ連や中国が憲法制定過程に注目し、議論を重ねていたことが分かってきた。第9条のいわゆる芦田修正について、極東委員会で日本の再軍備化の可能性が指摘され、新たにシビリアンコントロールの条項が付け加えられることになった。番組では最新の資料と証言をもとに、戦後日本の形を決めた憲法誕生の舞台裏を世界史的スケールで描く。

まず、アメリカは日本に対し、民主化と非軍事化を望んでいたのは、明かであろう。

そもそも、日本は、天皇によって、ポツダム宣言を受託して無条件降伏した。その上で、ポツダム宣言の七において、本国ノ戦争遂行能力カ破砕セラレタルコトノ確証アルニ至ルマテハ聯合国ノ指定スヘキ日本国領域内ノ諸地点ハ吾等ノ茲ニ指示スル基本的目的ノ達成ヲ確保スルタメ占領セラルヘシ現代語訳にて、日本国の戦争遂行能力が破砕されたという確証があるまでは、連合国の指定する日本国領域内の諸地点は、われらがここに指示する基本的目的の達成を確保するため、占領される。 とある以上、戦争を行うためのすべての軍備を放棄するのは、当然のことであろう。しかるに、戦力の放棄による平和主義が確立されたのである。

また、その九において、
「各自ノ家庭ニ復歸シ平和的且生産的ノ生活ヲ營ムノ機會ヲ得シメラルベシ」
現代語訳にて、「各自の家庭に復帰し、平和的かつ生産的な生活を営む機会を与えられる。」また、その10において、「日本國政府ハ日本國國民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ對スル一切ノ障礙ヲ除去スベシ言論、宗教及思想ノ自由竝ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ」現代語訳にて、「日本国政府は、日本国国民の間における民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害を除去しなければならない。言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は、確立されなければならない。」とを受け入れている以上、日本において民主主義が確立され、憲法において人権が保障されるのも当然なことであろう。


番組の中で、日本人の憲法調査会が立ち上げられ、その憲法草案を調査したGHQは、日本人の手で民主化と非軍事化が行われるのが望ましいと言っていた。そして、若干の修正を加えれば、マッカーサーが満足し得る憲法ができると、当時、GHQの職員だった人の証言でわかった。

1945年12月、モスクワで、米・露・英の外相会議が開かれた。それまでは、アメリカによるGHQの支配を受けていた日本だが、ここで、この三カ国により、共同で統治されることが話し合わる「極東委員会」がつくられる。

そのため次のような構図がつくられることになる。
極東委員会 → アメリカ政府 → GHQ → 日本政府

その極東委員会の発足は、1946年2月下旬と決まったのである。極東委員会には、オーストラリアも入っていた。そのオーストラリア代表を務めたハロルド・ブロック氏が番組に登場し、次のように語っていた。

「オーストラリアは天皇の役割に対し、非常に批判的な考えを持っていました。天皇は日本の軍隊と密接な関係があったとみなしていたからです。少なくとも、天皇を戦犯として調査し、裁判にかけるべきだと考えていました。」

オーストラリアは、天皇を戦犯リストに載せ、訴追に向けて動き出した。

1946年1月24日、幣原首相は、マッカーサーを訪問する。その際の会談の資料が残されていた。枢密顧問の大平小松氏が幣原首相から、会談の内容を聞き、大平氏の娘が、会談の内容を書き記していた。

幣原首相は、下記のように話を切り出したという。
「自分は、生きている間に、天皇制を維持したいと思うが、協力してくれるか?」
それに対し、マッカーサーは、
「天皇制は廃止すべきだとの、強力な意見も出ているが、一滴も血を流さず進駐できたのは、全く日本の天皇の力によることが大きい。できるだけのことは、協力したい。」と述べた。

幣原首相「世界から信用をなくしてしまった日本にとって、戦争を放棄するというようなことを、はっきりと世界に声明すること、それだけが、日本を信用してもらえる唯一の誇りとなることではなかろうか。」という。

ノートには、大いに二人は共鳴したと記されている。後に、マッカーサー元帥は、幣原首相が、戦争放棄をの規定を入れることを努力したいと記されている。

翌25日、ワシントン宛に極秘の書簡をつくる。このまま、天皇を訴追すれば、日本人の間に混乱が生じ、最低100万人の軍隊が必要であると回答している。

日本の占領にとって、天皇制は不可欠だと思っているマッカーサー、その後はいかに?

続く・・・



ところで、風さんが、下記のように述べているのを見つけた。
2月10日に夜10時から11時30分に放送されたNHK「焼け跡から生まれた憲法草案」はおもしろかった。 仕事柄ビデオで録画したものを昨日と今日で見たが、いままでは現在の[日本国憲法」が憲法改正を唱える自民党や同調するひとにとっては、GHQ(連合国総司令部)の押し付けたものを、日本の自由主義者の意見を取り入れて成立したものだと考えていたが、敗戦の昭和20年11月から在野の言論人7人が[憲法研究会」を立ち上げ、激論しリーダの高野岩三郎、その教え子の森戸辰男、憲法学者の鈴木安蔵、評論家の馬場慎吾、岩淵辰夫、室伏こうしんなど7人の議論したものをGHQ民政局法規課長で弁護士出身のマイク、ラウエル中佐の耳に入り、政府の諮問機関であった国務大臣松本蒸治を委員長とする[憲法問題調査委員会」の草案と比較しながらもGHQの求める草案にまとめあげたことだ。 私が感心したのは憲法学者の鈴木安蔵が2年間の刑務所くらしで憲法の研究情熱を傾け、憲法を研究していく中で吉野作造を通して明治の自由民権運動の流れの中で高知の植木枝盛のが明治14年に日本国憲法で西欧の思想家のスペンサーとかルソーの影響から[主権は国民にある」という思想があったことです。 [不磨の大典]といわれた明治憲法が成立する中ですでに国民主権の思想が微力ながらも受け継がれてそれが戦後の混乱した中で、はすの華のごとくに開いたのが今の[日本国憲法」だ。勿論地主の土地分配などの政策は日本の共産化を食い止めるためだった。昭和21年6月の国会で成立した憲法25条の国民の生存権、国の社会保障的義務である[すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。その?国はすべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。 この条文は森戸辰夫がドイツに留学していところ、第一次世界大戦後に成立した[ワイマール憲法」の一部を導入し、その国会で議論して成立したものだと伝えていた。今日その生存権は戦後ではないのに高齢者jの増加と[格差社会」の日本では存在が危機にたたされている。 今の時代は新自由主義の世界とその反発のはざまでゆれている。その中で財界、政府与党は[憲法改正」を打ち出している。
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